どーして会社を始めたのか(2)
当時主力としていた台が、ユニバーサル(現アルゼ)の「クランキーコンテスト」でした。
この台は技術介入度が異常に高く、技術がある人であれば負けない、適当に打つ人だと、店が出したくても出ないというすごい台でした。
あ、ここで誤解を招くので一言。私の負けないは、3ヶ月単位での話です。パチスロは240面体のさいころを振っているのと同じ=確率論の話になるので、1/240まで当たり確率が収束するには結構な時間を要します。要は1日単位であれば収支は安定しないって事ですね。
話がそれたので戻しますが、当時から計算高かったのか、毎日クランキーコンテストの設定が高い(出る台)を探し、理論上はレバー1回叩けば0.5枚出るんだと心に念じて、見つければご飯も食べずにひたすらレバーをたたきまくる。そんな生活でした。(1日7000回レバー叩けば3500枚=7万円勝つって事です)
おかげさまで専攻していた機械の勉強なんてそっちのけで、毎日パチスロ。テストもどうせ0点だろうと思いパチスロ。いま思えばおかしな事をやっていたなぁと思うのですが、実は今の自立心ってのはここで培われたんだと思います。
というのも、パチスロは確率・統計ですのでそれらの勉強をしたり、ExcelにVBAでパチスロを作ってシュミレーションさせたり、設定を見破る攻略法を理論的に作ったり、いかに勝つかを常に考えていました。今はいかに会社を大きくするかということを常に考えていますので、おんなじ様なことを当時から考えていたんですね。
面白いエピソードがあり、当時パチンコ屋までの移動はタクシーで往復してたのですが、毎日タクシーを呼ぶせいもあって、校門の前には毎日タクシーが止まるようになりました。とある全校集会で生活指導の先生が「毎日タクシーが止まってると思って運転手に聞いてみたら、最近の学生さんは儲かってるんですね〜って言いやがる!けしからん!」と。今だからいえますがそれは僕のせいです。はい。ごめんなさい(笑
そんな生活を繰り返していると当然期末には危機が訪れます。単位が全然足りませんでした・・・担任に「お前は税金の無駄遣いだ!」と全生徒の前で言われ、結局留年・・・でもこの留年が自分の人生を大きく変えました。
次回に続く。