どーして会社を始めたのか(5)

北海道に戻ると、私としては試練のように日々が始まりました。

まずは営業の人間と一緒に同行しOJT。正直優れた営業マンという方がいなかったのですが、実はこれが後ほどすごい参考材料となりました。要はものを売るためにかけている部分が参考になったのです・・・

その後、営業担当を与えられました。私はほとんど口座はあれど取引のない、いわば新規営業に近いもの、あとは食品工場などを担当しました。

毎日車で客先を回り、売上が伸びないため四苦八苦していました。そこで忘れられない出来事が。

某大手エレベーター会社には口座があったのですが、取引は皆無でした。担当者の方から何とか情報を聞き出そうと、まずは自社の取り扱いメーカーから説明すると・・・「あ、そのメーカー取り扱いあるの?うちではすごい量を使うんだよ」との事。

早速型番を聞いて見積をしようと上司に相談したのですが、「そんな大企業で使っているなら、大量仕入れで安いんだから無駄だよ」と言うのです。もう腹が立って勝手に原価に利益を乗せて見積したところ、なんといきなり大量に注文をもらってしまったのです。

あの時は「おぉ、新人なのにこんな大手から注文がもらえるんだ、やっていて良かった!」と心底喜んだものです。

ところが上司はそんなの当たり前みたいな顔をするので、その頃から上司に対しては嫌悪感がありました。

また、たまたま受け取った電話が空圧機器で質問があると言う新規の電話だったのですが、そこで質問を答えたと同時にアポを取り、すぐにお客さまのところに向かいました。

そこでかなりの量を使っていると言うので、型番を聞いて見積をすると、利益率は非常に良いのに安いとの反応が。後日また電話があり、なんと「すぐに●●万円分発注したい」とのうれしいお声が!

それでも社内の反応は当たり前だろう見たいな感じで・・・

そのとき思ったのが、まず営業は固定観念で売れないだろうと思い込み、全然営業をしていない、いわば御用聞きだったんだなと。じゃぁ逆に積極的に提案することによって、ものを買ってもらえるのでは?そう気づきました。

実はその概念と言うのは今でも根付いていて、私の今の営業スタンスの元となっています。

とはいえ、自分が勉強してきたボールねじなどではなく、ほうきや蛍光灯などまで取り扱わなければならず、自分が必死に身に着けてきた技術が一切利用できないのは非常に苦しかった・・・

続く・・・

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