創立10年の「老舗ベンチャー」が経験した3つの失敗。

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この話は6年前にMovable Typeが急成長を始めたくらいの頃の経験を書いたものです。つまり会社を立ち上げてそこそこうまくいって、売上が伸び悩んだときの経験談です。まぁつまり私は無能なダメ経営者だったことを告白することになる記事です。

スカイアークはこんな狭い部屋で創業したんです。築40年。ここに一時期5人働いていました。ここは私が生まれそだった場所。生まれた場所帯広市から世界的企業を作ろうと決意して作ったのがスカイアークでした。まさしく地方初ベンチャー。2004年で地方からITベンチャーはかなり珍しかったと思います。

いまでこそ日本シェアNo.1のCMS「Movable Type」の事業は今でも我々の収益の柱ですし、何より本当に苦労して市場の伸びを支えてきた。一時期は大企業向けのライセンス出荷もトップだったし、名実ともにMovable Typeのトップベンダーだった。それが私の失敗で会社は目指している会社とは大きく乖離してしまった。

たぶん人から見ればそんなに失敗してるの?と思われる知れません。確かにスカイアークは北海道ではあり得ないくらい大企業さんとの取引が多いし、よいお客様に恵まれ、安定した収益を上げることが出来ていますし金融機関の信用力も高い方だと思う。ここ数年はよい人材も増えています。

当時24歳で右も左も分からないまま経営者になって、よくまぁ10年も会社が続いたなとも思うんですが、しかし、10年やって30人規模の会社にしか出来なかった、当初の夢と大きくずれる結果を出してしまった自分がいやでしょうが無い。タイトルは自分に対する嫌み、戒めです。

あ、この記事の大前提が「急激に成長しそうなタイミングで失敗したこと」です。安定的に企業運営している人にはまったく当てはまらないとおもいます。

会社を作ったばかりのベンチャーや、これから成長を目指すフェーズの人の参考になれば幸いです。

失敗したこと

1.安定を選択したことで勢いがなくなったこと。

そもそも起業した理由のひとつが、世界中のホームページがMovable Typeになればいいのに、と思ったことです。当時はホームページビルダーくらいしかまともなソフトがなかったけど、かんたんにウェブサイトに自分のコンテンツを公開できるMTのすごさに感動して、誰もが簡単にウェブで情報発信できる世界を作りたいと思い事業を進めていました。

2004年のMovable Typeは日本ではブログ(当時は日記とかウェブログとか呼ばれてました)としての認知しかなく、高価なCMSしかない状況でした。私たちはCMSとして安く手軽に活用してほしいと願い、2005年にMovable TypeベースのCMS「MTCMS」をリリースしました。当時のMTの大規模事例はスカイアークが開発して提供していました。つまりシックス・アパートさんと二人三脚でひたすら市場を伸ばす手伝いをしてきました。当時は1人あたり売上も余裕で2000万超えていて、受託開発企業としては非常に生産性の高いビジネスが出来ていました。

しかし、いまやMTは日本シェアNo.1、WPなどのブログ型CMSは企業にとって当たり前になりましたが、その頃には我々のポジショニングは悪くなっていました。

なぜか。

MTの黎明期はとにかくお客さんからの引き合いが多く一気に売上が伸びましたが、ある時点から売上の伸びに陰りが出ました。安定して利益を出さなければという思いから、市場が急激に伸びているタイミングで企業を安定的に運営できるようにとワークフローや人事制度、様々なロジック造りを優先させました。つまり社外より社内の意思決定を優先しました。

結果、事業は安定してある程度の仕組み化が出来て売上もまた伸び始めました。しかし気づいたら市場では戦い方が変わっていて、自社のポジショニングが悪い方向に進んでいました。そうなると後の祭りです。人は居つかなくなるしマイナスなマインドの人が増えて事業運営が非常にしづらくなり、ただでさえ市場でのポジショニングが悪いのに、よい方向にする意思決定をするにも抵抗に遭うので変えづらい、本末転倒な状況になりました。

安定すると市場でのポジショニング争いではなく、社内での争いに変わってきます。たとえば稟議通すためにどうしたらいいとか、あの人がこう言うなら黙っておこうとか。

市場は社外にあり、社内にはありません。ベンチャーで働く社員が社内のことを気に始めたら終わりです。「市場に対する意思決定が遅く」なると、会社の体力をどんどん削いでいきます。

正直、市場が急激に伸びているときは勢いを優先して、仕組み作りは得意な人を採用して徐々に作っていく方がよいかと思います。

そして、勢いを生み出すために最も重要なのは「ビジョン」です。

よいビジョンには人が勝手に集まり、いきいきして働いてくれます。ビジョンが無かったら結局人は現実との乖離でやめます。下手に制度とか作って「楽して」人を採用するより、すばらしいビジョンを持つことが最も重要です。テンション高いときは制度があるとモチベーションが上がるけど、会社が苦境になると制度があろうがなかろうが人は辞めますし制度廃止はモチベーション下がるから大変です。

あと、忘れちゃ行けないのが本気でリスクとって事業やるのであれば借り入れすると人質取られるようなもので後で舵取りが難しくなります。せめて借りるのであれば一時的な運転資金として借りないとまずいです。間違ってもベンチャーが借り入れを投資に回したらダメです。借り入れすると返済リスクを背負うので、事業リスクが取りづらくなります。失敗したらどうしよう的な感じですね。

経営の教科書に載っているようなことは、参考になれどベンチャーに当てはめたらダメです。あれは安定的に会社を運営するためのノウハウが書かれていることが多いので、当てになりません。

2.ビジョンがぶれたこと、中途半端にリソースを分散させたこと。

社長は「思い」は強い方がいいが「思い込み」が強いのは無駄以外の何物でも無いです。

私は売上が伸び悩んだ時に「勝手な思い込み」で市場でのポジショニングを変えてしまいました。当時WCM(ウェブコンテンツマネジメント)市場は非常に伸びてましたが、CMS採用がウェブ制作の常識になりつつあり、ウェブ制作会社が急増して戦いづらくなってきました。そして直販を徹底していたのでウェブ制作会社はいわゆる敵になってきました。やたら安い値段で提案して案件を取っていく流れについて行きづらくなったのです。このときにはスカイアークは市場の中でも売上も大きく力もありました。

にも関わらず、これからはWCM市場は伸びるけど案件単価が下がり厳しいだろうという「勝手な思い込み」で、さらに自分たちがイントラネット分野でも顧客を獲得して高単価で受注できていたこともあり、自分の力を過信してWCMではなくECM(エンタープライズコンテンツマネジメント)に力を入れることを意思決定しました。それはつまり単価が上がるのでプロジェクトマネジメント力が問われることになり、技術が変わることになり、営業先が変わることになり、戦い方が変わることを意味していました。

しかし当時MTもECMの案件が多く来ており、お客様から問い合わせが来る状態だったので気合いで納品し、客数を努力しなくても増やせる状況にありました。それがまずかった。ECMは案件がたくさんあるが顧客にリーチ出来ない。戦う相手がSIerになってしまい、お客様との長期関係が結ばれている中どうやっても入り込めないし勝負にならない。気づいたらWCMはまだ伸び続けている。WCMとECM、戦い方が違う事業を2つ回すには当時のスカイアークの力では出来ませんでした。

そして中途半端に製品を作ったのも悪かった。製品自体はビジョン・コンセプトはよかったと思います。なぜなら必ず大企業が数社ファーストユーザーになったから。顧客が困っていることを聞き取るのは得意でしたので、それを製品化するところまではよかった。しかしその製品を育てることが出来なかった。

なぜなら受託開発は売上の波が激しいので、キャッシュが足りない時に受託開発へリソースを振り分けなければならなくなり、継続した製品開発が出来ないことが多発しました。つまり顧客のニーズを拾い続けて製品に反映させる体制が作れなかった。製品は売れ始めてからスタートですので改善しなければ売れません。ベンチャーの領域ではリソースを分散させると本当にろくな事が無い。絶対に一点突破した方がいいです。

ポジショニングを適切な時期に適切なやり方で変えることが出来れば、こんな状況にはならなかったでしょう。

そして、自社が実施している事業のフェーズがどこにあるのか。黎明期なのか成長期なのか安定期なのか。それによって意思決定の中身を変えないとまずいです。今思えば、先ほどの話に当てはめるとWCM市場が伸びているときはまだ成長期に入りたての頃でした。その頃に軸足を移そうなんてただの馬鹿ですよね。そのまま突き抜けていけばもっと会社は変わっていたでしょう。冷静さに欠けていました。

やると決めたら徹底的にやり抜く、それが足りていませんでした。

3.現場に任せなかったこと。

実は、すべてはココにつきます。

いまでこそ役員に現場のマネジメントを任せられるようになったが、3年前までは積極的に現場に関わっていた。

これ、自分が何でも出来ると「思い込んで」自分がやった方がいいと全部自分でやろうとすると本当にろくな事無いです。人は育たないし、自分がいないと事業回らないし、だから事業がスケールしない。事業は人ですべて決まります。優秀な人間を育てるのも潰すもの社長のやり方次第でしたね。

市場の変化に会社がついて行けなくなったら事業が本当に苦しくなります。社長の仕事は市場への意思決定です。顧客先に訪問して声を聞き、市場に対して適切な意思決定を行う必要があります。しかし一番顧客と接している従業員が市場に対する危機感を持たなければ、社長だけの強い声が現場に優先されてしまい考えなくなり、市場の変化について行くのが大変になってきます。

失敗して本当によかった。

ここまでボロクソに書いたからおまえタダの雑魚じゃん。といわれるのも嫌なので、ひとつよかったことを。

自分を信じて走り抜けてよかったと思います。自分のマインドが上がらなくなり心折れると事業も折れて走るの辞めたくなります。でも自分は出来る!世の中は絶対こう変わっていく!という思い込みがあったからこそ、これだけのたくさんのお客様と取引させていただき、安定的に収益を上げられるようになってきています。

10年走り続けて、いや、走らせていただいて見えてきたことは人の何千倍も経験出来たと思う。

「急成長させたい」という思いから考えれば失敗なだけで「安定した会社を作る」という点ではうまくいきました。ただ自分が求めている形とずれているだけであって、結果としてはお客様に少しでも信頼いただける会社を作り上げることが出来つつあるので、それはそれでよかったと思っています。これだけの大企業さんのウェブ基盤を支える仕事もなかなか出来ません。

でも、ここまで失敗して本当によかった。いま進めているファームノートはこれらの失敗を活かしているのでとても事業スピードも速く勢いに乗れてる。優秀な人材もたくさん集まってきているし採用できてる。詳細は言えないけど畜産業界にインパクトがあるとんでもないものを作り始めている。スカイアークも10周年に向けて再構築出来つつあり、新経営計画ではさらに攻めに転じることが出来る。

もう34歳。自分的には周回遅れな気分なので、まだリカバリーできる範囲で失敗に気づいてよかった。この失敗を糧に次の10年は絶対に成功させる。

自分への「逆襲」はすでに始まっています。

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